僕は理系なので、あんまり文系科目は一生懸命やったことがありません。
でも、強いて言えば「倫理」は割と好きでした。大学受験のときはセンター試験で倫理を選択したことを覚えています。

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好きだった理由は、今となっては思い出せません。
多分、アリストテレスがどうのニーチェがどうのと言っているのがカッコいいと思っていたんでしょう。

それより、倫理についてはものすごく印象に残っていることがあります。
「万物の根源は何か?」という問いに取り組んだ哲学者に関する説明です。以下のような感じでした。

万物の根源についてはじめて考えたのはタレスである。タレスは「水が万物の根源だ」と主張した。
一方で、ヘラクレイトスは身の周りの様々なものが常に変化していることに気づき、万物の根源は火だとした。


この後も、「◯◯は万物の根源を〜〜であるとした」という説明がたくさん並びます。
僕はかつてこれを読んで「昔の人バカだなぁ」と思いました。そしてなんとなくこの情報を覚えてテストを乗り切りました。

しかし、この部分の本質は「誰が何を根源だと思ったか」ではないのです。

このあたりのことは「哲学的な何か、あと科学とか」あたりを参考にしていただければ分かりやすいのですが、要するに

これまでは世界の全てを説明するのは「神話」だったけど、神話の説明には限界が見えてしまった。
だから、タレスは「世界ではじめて」神話の世界から脱出して、自分の目で観察して、考えた
この点において、タレスは世界ではじめての哲学者であり、科学者であるといえる。

すなわち、学問が生まれたという点で偉大であり、そう説明してくれれば僕も「なるほどな!」と感心したと思うのです。

にも関わらず、教科書は「タレスは万物の根源を水だと考えた」という不必要な情報の方を強く押し出しているのです。


倫理の教科書は終始こんな感じで、無味乾燥な一対一対応の情報をたくさん載せている本でした。
人の思索の内容や本質に触れずに、「タレスは水!」という暗記ばかりが行われます。

ここに、僕が考える高校教育の醜悪さの大部分が集まっています。

背景・本質・理由などを全て置き去りにして、ただの情報を延々伝え続ける。
入試ありきで大量の情報を組み込もうとするから、こうなると思うんですよね。

情報量を10%くらいにして、一つ一つの項目をしっかり膨らませれば、倫理の教科書なんて最高に面白い読み物になるはずです。
そして、圧倒的に意味のある学びになると思います。
「タレスは水!」よりも、人類最初の「観察による仮説」はこうして生まれた、ということの方が明らかに意味がありますよね?

各出版社に、教科書に登場する一つずつの情報に対して「これがすごいんですよ!」という説明をする義務をつけたらどうだろう。
そうすれば少しは教科書がまともになるだろうし、無意味な情報の羅列ではなくなるはずです。


ということで、僕はこれから、出版社に対する「これがすごいですよ説明義務」制度を唱えていきます。
よろしくお願いします。




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