僕がこじき的旅行というプロジェクトを通して世に訴えたいこと、それは「レールから外れたってかまわない」ということです。
今回はそれについて書いてみます。


優等生


中学生の頃、僕はそこそこ勉強ができました。特に苦労することもなく、学年順位は一桁をキープしていたように思います。
と言っても、北海道の公立中学(しかも荒れてる)だったので、大したことではありません。
ただ、「君は勉強ができるから地域の一番の進学校に行けるね」と言われました。
僕はそこまでの人生で、これといって何かに熱中していたわけでもなく、何か誇れることもありませんでした。


だから、何も考えずに、薦められた通りの進学校に行きました。自分が認められるのは嬉しかったからです。

高校

そして、高校でものんびり暮らしました。何かに熱中したり、能動的に何かをした記憶はありません。

中学生の頃も、高校に入ってからも、僕は「レールに乗って」いました。
いわゆる「普通の良い人生」のレールです。
「進学校に入って、一流大学に入って、良い仕事に就こう」という考えしか持っていませんでした。
それは、周りからさりげなく手渡されてきた情報からできあがった「レール」でした。
普通で、楽に進めて、何も考えなくて良い、という「レール」でした。
レール


その「レール」から外れることは考えられなかったし、考えもしませんでした。
「自分には能力があるし、その能力にふさわしいエリート街道を行こう」と考えていました。
中高生の頃の僕はプライドばかり高くて、自分の人生について真摯に考えたことなど一度もありませんでした。

結果、自分の人生のためになる勉強は一つもしてきませんでした

したことと言えば、ダラダラ遊びまわったり、毛ほども面白くない高校の授業や宿題に取り組んだことだけです。
人生で最も成長できるはずの数年間を有効活用し損なったのです。
思い返してみれば、「高校の授業が退屈すぎてストレスだし、いっそやめようか」と思ったこともありました。

高校の授業とか、受験勉強とか、一切やめてしまいたかった。
その時間を使って、世界を放浪したり、ものづくりについて学んだり、教育の未来を考えたりしたかった。
宇宙論を学んだり、気象予報士になる勉強をしたり、名作文学を読み漁ったりしたかった。


でも、前に書いた通り、結局「レール」から外れることを本気で検討できませんでした。
上に挙げたような「本当にやりたいこと」は、高校の勉強の片手間に終わってしまいました。

その頃の僕は間違いなく愚かでした。でも、他の選択肢がもし見えていたなら、違う結論もありあえたと思うのです。


「レールから外れる生き方もある」



そう感じることができていれば、僕は別の決断を下したかもしれません。

当時、僕のアンテナでは「レールから外れる人」をキャッチすることはできませんでした。
だから、レールから外れても良いんだと感じることもありませんでした。

でも現代では、そういう人はたくさんいます。
そして、「レールから外れても案外楽しく生きていける」ことは揺らがぬ事実だと確信しています。
レールから外れても、人は結構助けてくれるはずです。坂爪圭吾さんなんかは好例ですよね。

僕は、レールを外れた「自分の勉強、自分のプロジェクト」の面白さを伝えると共に、「レールを外れても構わない」ということを表現したいと思っています。
「無銭」旅行をすることで、「レールから外れても(無職になっても)生きていられる」ことを明らかにしたい。
そしてその経験を本当に楽しみながら、僕は多くのことを学ぶでしょう。それによって、「自分から動く学びやプロジェクト」の素晴らしさを伝えたい。

受動的な学びなんて、得るものは少ないよ。
つまらないと思っているのなら高校なんてやめて、やりたいことをやりなよ。


高校生の頃の僕にそう言ってやりたいです。
そして、こじき的旅行を通じて、世間に対してそう言ってやりたいのです。




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